認知症の祖母と孫MR

MRの悲劇
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でんでん
でんでん

こんにちは!『会社に縛られない生き方へ!MRのブログ』管理者のでんでんです。

私の祖母は現在97歳。

私は小学校5年生の9月に母を癌で亡くしました。

これは私が後に製薬会社に就職し、MRになりオンコロジーMRを志すことに影響しています。

母が亡くなって以来、祖母が私の母親変わりをしてくれていました。今から約10年ちょっと前に祖母は認知症を発症しました。

私はMRとし仕事をしているので、診断・治療・重症度や経過、中核・周辺症状を含め理解をしていましたし、もちろん今では更に理解が深まっています。

しかし、頭で理解しても非常に大変な疾患だとは体験しなければ本当の意味で分かりません。認知症の家族と生活をともにするのは本当に大変なことだと痛感しています。

幼い頃の祖母と私

私の母は非常に厳しい人でした。

私は母によく怒られていたことを記憶しています。

もちろん怒られるのにはそれ相応の理由がある訳で・・・母に怒られたときには私のシェルターの祖母の部屋に逃げていたことを思い出します。

祖母は私を庇ってくれますが、それが影響してか少し母と祖母がギクシャク、今では少し申し訳なくも思います。

母が亡くなってからの私と祖母

母が亡くなってから祖母が母親代わりをして育ててくれました。

炊事、洗濯、掃除、種々の学校行事の用意や弁当作り、本当にお世話になりました。中高の思春期の時期には少し反発もし、若干迷惑もかけたかもしれません。

MRになることで祖母と離れる

大学を卒業すると同時に私は製薬会社に就職し、MRになるべく集合研修、約半年感のホテル暮らし。

その後、最初の勤務地に赴任して一人暮らしが開始となります。実家からに帰るには新幹線に乗る必要があるエリアでの勤務でした。

就職してからも地元の友人と遊ぶことが目的ではありましたが、盆暮れ正月は必ず実家に帰り家族の近況も確認していました。

認知症の発症

祖母はよく1km離れたスーパーに歩いて買い物に行っていました。

80歳を超えても高血圧症以外に悪いところもなく、暗算も早く、驚くほど健康体でした。

ところが、一度外出時にコケたことがあり、あまり外に出歩くことを控える様に医師より指導されました。それを受けてかどうか分かりませんが、祖母の外出の機会は減り、それから程なくして会話に違和感を感じる様になってきました。

当時は数ヶ月に1度しか会うことがないので、それが顕著に分かりました。ちょうど脳や認知症について勉強していた時期だったので、典型的なアルツハイマー型認知症だと分かりました。父に聞いたところ病院でも指摘され、アリセプトが処方される様になりました。

以前から祖母は、昔の話をよくしていました。自分が会話の主役になることが大好きで本当によく話をします。ところが、会うたびに祖母の数十年に渡って聞かされてきた話がどんどんとエピソードが減ってくるのが明らかにわかるレベルで認知機能の低下を感じていました。

孫MRへの辞令

そんな状況だったので、実感の近くでの勤務を会社に希望していました。

年に1度希望を会社に申告できる制度があるのですが、何年経っても希望は叶いません。

そんなときにオンコロジーMRの社内公募があり、オンコロジーMRへ転化しました。するとびっくりするほど遠くの勤務地への辞令です。冗談かなと思う辞令ですね。でも、私だけではなく周りを見ても同様の扱いをされている人が多過ぎて、今でも会社への不信感を強く持ち続けています。

現在の祖母の状態

認知症に多少知識がある方だと『さくら・ねこ・電車』が何を意味するかお分かりでしょう。

これはもちろん言えません。日付や時間もわかっていません。自分の年齢、自分がどこにいるのか、孫である私の名前すら分からないレベルです。すごく寂しいですね。

それ以外は新たな疾患を持つことなく元気です。ならいいかじゃないかと思うかもしれませんが、97歳ですので、今じゃ普通に歩くのが困難です。話せるエピドードは少なくとも口は達者なので、1日に100回同じことを聞かれます。これはなかなか精神的にヘビーです。世間で言われる介護疲れという言葉がよく理解できます。

会社に縛られない生き方が必要

サラリーマンなので社員は駒です。

そう思っている古い考え方の会社や幹部社員が未だ多いのは事実です。会社の辞令に従い、会社の都合で勤務を続けていくのは本来大切にしたいことが削られていくことにも繋がります。人の命は有限、人はその人しかいない。会社は他にもありますからね。

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